きわどい否認事件で有罪判決が出たり、その有罪判決が上級審や再審で覆されたりするたび、「そもそも情況証拠だけで有罪判決を出すのがおかしい」というネット民の意見が多数観察される。*1
今回は、このような意見が誤りであることについて書く。
上記のTogetterは、2012年に私がした連ツイなどがまとめられたもの。ここに出てくるやぎ氏は匿名だが刑事弁護に強い弁護士。高島章氏も百戦錬磨の刑事弁護人だ。
このTogetterは当時多数のPVを稼ぎ、今も「情況証拠」でググると1ページ目に出てくる。
だが、「情況証拠だけで有罪判決を出すのはおかしい」という誤った主張はいっこうになくなる気配がない。そこで本ブログでも解説しておくことにした。
情況証拠とは、直接証拠に対立する概念だ。
直接証拠と情況証拠は、
立証の対象である事実を認定するために、推認の過程を経る必要があるか否か
で区別される。
すなわち、
直接証拠とは、立証の対象である事実を認定するために、推認の過程を経ない証拠
一方、
情況証拠とは、立証の対象である事実を認定するために、推認の過程を経る証拠*2
という区別になる。
これだけだとわかりにくいかもしれない。
直接証拠において、事実認定のために推認の過程を経る必要がないのは、「その証拠が真実である」ということと「犯罪事実があった」ということが論理的にイコールの関係にあるからだ。
直接証拠の代表は自白。「私が甲氏を包丁で刺し殺しました。」との被告人の自白は、その自白が真実である限り、被告人が犯人であるということを直接示す。
だから裁判においては、その自白の任意性や信用性が争点になる。自白に任意性も信用性もあるなら有罪判決を出すことができる。*3
自白のほかには、犯行を直接目撃したという内容の目撃者証言や、被告人と一緒に犯行をしたという内容の共犯者供述も、その供述が正しいなら直ちに被告人が犯人だといえるから、直接証拠だ。
このように、直接証拠というのは基本的に全て供述証拠だ。*4
反対に、物証は基本的に全て情況証拠だ。*5
ここまで読んだ時点で、「情況証拠だけで有罪にするのはおかしい」という主張が誤っていることは理解してもらえたと思う。
しかし念のため具体例も挙げてみよう。
被告人が被害者宅に押し入って被害者を強姦した上、刺殺して金品を強奪した強姦・強盗殺人事件で、被告人が否認しているという事案を想定しよう。目撃者も共犯者もいない。つまり直接証拠は何もないとしよう。
- 死亡推定時刻の30分前に、帰宅した被害者の直後についてきた被告人が、被害者を玄関内に押し込む形で被害者宅に押し入った。(防犯カメラ映像により認定)
- 死亡推定時刻の20分後に、被告人が被害者宅玄関から出てきて走り去った。(同上)
- 死亡推定時刻の前後、被害者宅玄関から被害者宅に入った人物は被害者と被告人以外にいなかった。(同上)
- 被害者の膣内から採取された精液のDNA型が、被告人と一致した。(精液、鑑定報告書等により認定)
- 被害者が死亡した日の翌日、被告人の自宅から押収された出刃包丁に、被害者の血液が付着していた。(出刃包丁、鑑定報告書等により認定)
- 前記の出刃包丁の形状は、致命傷となった被害者の腹部の創傷と一致した。(同上)
- 被害者が死亡した日の翌日、被告人の自宅から、被害者名義のクレジットカードと、被害者の血痕が付着した紙幣数枚が押収された。(クレジットカード、紙幣、鑑定報告書等により認定)
この設例では情況証拠しかないが、被告人を有罪にするのは許されないことだろうか。むしろ真っ黒ではないだろうか。
このように、事実認定が直接証拠によるか情況証拠によるかという区別は、結論に至るロジックの立て方が異なるという区別に過ぎない。
直接証拠、例えば自白がある場合でも、その自白を安易に信用すれば冤罪が生じる。現に歴史上重大な冤罪事件は、厳しい取調べに耐えかねてした被告人の虚偽自白を安易に信用したことによるものが多い。最近話題の痴漢冤罪も、たいてい被害者供述を安易に信用したことで生じているから直接証拠型だ。
反対に、自白などがあっても、その信用性判断にあたり客観的証拠の裏付けを厳格に求める場合には、冤罪は生じにくくなる。
一方、情況証拠による事実認定でも、上の設例のように、犯行を推認させる力の強い情況証拠が集まっている場合には冤罪のおそれは低い。
反対に、一つ一つの情況証拠それ自体には「被告人が犯人であることと矛盾しない」という程度の意味しかなく、推認力の弱いものしか集まっていないのに、「合わせて一本」的に有罪としてしまうような場合は冤罪が生じやすい。*6
このように、事実認定が直接証拠によるか、それとも情況証拠によるかという区別には、どちらがより冤罪が生じやすいという法則はない。
新聞等の報道でも「直接証拠がなく、情況証拠による判断となった」などと述べる場合がよくあるが、上記の点に留意しつつ報道に接するとよいだろう。
京葉弁護士法人(おおたかの森法律事務所・佐倉志津法律事務所) 代表
弁護士 三浦 義隆
*1:「状況証拠」という表記がされることもあるが、本稿では「情況証拠」で統一する。「情況証拠」でなく「間接証拠」という場合もある。全て意味は同じ。
*2:具体的には、情況証拠によってまず間接事実(例:「被告人は犯行推定時刻頃現場近くにいた」「被告人は金に困っていた」等)を認定し、次に、認定された間接事実を総合して立証対象事実の有無を判断することになる。
*3:ただし自白が唯一の証拠である場合には、補強法則により有罪判決は出せない(憲法38条3項、刑訴法319条2項)。もっとも、客観的証拠と整合しない自白はそもそも信用性がないから、自白を信用できるのに自白以外の証拠が一切ないという事態は、実際には想定しにくいだろう。
*4:供述証拠以外では、犯行の一部始終を録画した映像を直接証拠と見る見解もあるが、私はこれは疑問だ。ビデオ映像は「この人が犯人です」と断定してくれるわけではない。単に、「犯行推定時刻に犯行現場で、被告人と酷似した人が△△の犯行をしている様子が防犯カメラに映っている」という間接事実を認定させるに過ぎず、やはり情況証拠と考えるのが理論的にはすっきりするように思う。
*5:前脚注のとおり、犯行撮影映像を直接証拠と見る場合には、犯行撮影映像は「物証だが直接証拠」という例外的な存在ということになる。
*6:この点、大阪母子殺人事件最高裁判決(最高裁平成22年4月27日判決・刑集64巻3号233頁)は、情況証拠によって有罪を認定するためには、「情況証拠によって認められる間接事実中に、被告人が犯人でないとしたならば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難である)事実関係が含まれていることを要するものというべきである。」と判示し、「弱い証拠をたくさん集めて合わせて一本」的な有罪認定は許されないことを示した。正当な判示である。(ただし現実に全ての裁判官がこのルールに沿った厳格な事実認定をしているかは別問題だが)