弁護士三浦義隆のブログ

流山おおたかの森に事務所を構える弁護士三浦義隆のブログ。

警察は行政機関ではないと述べた野村修也氏

中央大学法科大学院教授の野村修也氏が、「捜査は行政が行なうわけではない」という趣旨のツイートをした件が、弁護士等の法律関係者から批判を集めている。

警察も検察も行政機関であることは、司法試験受験生でも皆知っているレベルの常識だ。

匿名弁護士アカウントから誤りを指摘された野村氏は、「言葉足らず」であったと釈明した。

どう見ても初歩的な誤りなのに「言葉足らず」で済ませる態度にも批判が集まっている。炎上実況が本稿の目的ではないので代表的な1ツイートのみ引用しておく。

野村氏が、普通の弁護士なら誰でも知っているような事項について誤った発言をし批判を浴びたことは、実は過去にも何度かあった。

商法学者が本業の野村氏は、弁護士の肩書で色々発言しているが、司法試験には合格していない。

かつて、法律学の大学教授等を5年以上務めれば、司法試験合格も司法修習も経ずに弁護士登録できるという特例があった。2004年3月31日限り廃止されている。

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/sihou/hourei/bengosi_s.html

廃止前に弁護士登録済みの法学者の弁護士資格はそのまま維持されたから、今もこの特例により弁護士資格を保有している人は結構いる。野村氏もその一人。

そもそもこのような特例に妥当性があったか疑わしいが、もう廃止されたことだし、その点の議論はここではしない。

問題は、野村氏が、弁護士の肩書で、司法試験に合格し弁護士として実務を行っている者なら誰もしないような誤った言説を流布していることだ。

弁護士と法学者の知識の違いをざっくり図式化すると、

「多数の科目についてそこそこの知識を有しているのが弁護士」

「特定の科目について深い知識を有しているのが法学者」

といったところだろう。両者に優劣はない。

優劣はないが、弁護士はどんな法律についても法律事務を取り扱えることになっている。弁護士がどんな法律について発言しても、一般の人は、弁護士の言うことだからそんなに間違ってはいないだろうという信頼を抱く。

このような信頼は、科目横断的な司法試験と司法修習制度によって担保されている面があるだろう。

野村氏が専門外の、例えば刑事法について発言するといった場合、そうした信頼を担保するものがない。肩書は弁護士であっても、実質的には「商法学者が畑違いの法律について発言している」ということでしかない。

そうであれば、氏が専門外の事項について発言するとき弁護士の肩書を用いるのは、控えめに言っても不誠実なのではないかと思う。

同じ弁護士の看板を掲げている者として、迷惑なのでやめてほしいというのが正直な感想である。

 

 

弁護士 三浦 義隆

おおたかの森法律事務所

http://otakalaw.com/