弁護士三浦義隆のブログ

流山おおたかの森に事務所を構える弁護士三浦義隆のブログ。

表現の自由の主戦場は昔も今もエロだ

 1. クジラックス氏が警察から自宅訪問を受けた件

漫画作品に描かれた強姦の手口を模倣した強制わいせつ犯が発生したとのことで、埼玉県警が、作者のクジラックス氏の自宅を訪問して「配慮」を「要請」したそうだ。

mainichi.jp

ネット上では大きな話題となっており、「表現の自由の侵害だ」など、埼玉県警を批判する声が強い。

しかし、法律論(憲法論)としては、この件を「表現の自由の侵害」というのは困難だろう。

報道やクジラックス氏自身のツイート等から判断すると、警察は、何ら強制的なことはしていないと思われるからだ。単なる「お願い」にとどまるかぎり、人権侵害の問題は生じない。*1

しかし、警察といえば権力機構の最たるものだ。

形式的には強制を伴わない「お願い」にとどまるとしても、警察官がいきなり自宅に訪問してきて「お願い」されて平気な人は、我々法律屋くらいのものだろう。実質的にはかなり強い圧力となりうる。

したがって、このような「お願い」にも表現行為に対する萎縮効果はあるといわざるを得ない。そもそも、警察がまさにその萎縮効果を狙ってこういう行為をしていることも明らかだろう。

憲法上の人権である表現の自由の侵害とまではいえないとしても、我々市民はこのような警察権力の「おせっかい」を、大いに批判してよいし、すべきだと思う。それが歯止めになるかもしれない。

2. 表現の自由の主戦場は昔も今もエロ

表現の自由」というと崇高で大事なものという感じがするが、エロ表現というと低俗で下等な感じがするせいか、あまり積極的に擁護する気になれない人が多いようだ。

しかし、表現の自由の主戦場は、今も昔もエロ表現である。

チャタレー事件悪徳の栄え事件四畳半襖の下張事件メイプルソープ事件

司法試験受験生が勉強するような、表現の自由関連の重要最高裁判例の多くが性的表現に関するものだ。

漫画作品のわいせつ性が問題になった松文館事件というのもあった。

最近では、アーティストのろくでなし子氏の作品がわいせつ性を問われたが一部無罪を獲得した裁判も話題を呼んだ。

なぜこのようにエロ表現が表現の自由の主戦場になってきたのか。

これは簡単な話で、敵(国家権力)がよくそこを攻撃してくるからだ。

戦後の日本においては、政治的言論などがその表現内容を理由に禁圧されるということは、そう多くはなくなった。特に刑罰をもって禁圧されることは少なくなった。

例外として名誉毀損罪があるが、名誉毀損行為は個人の利益を侵害することがはっきりしているから、他者の人権との調整という観点から一定の規制を受けるのはやむを得ないということに、あまり異論は出ないだろう。

他には破防法なんていうのもあるが、ここ何十年も適用されていない。

一方、エロ表現は、戦後もずっと刑罰を伴う規制をされ続けてきたし、実際に取り締まられてきたし、今も取り締まられている。

エロ表現規制の代表は、刑法175条、わいせつ物頒布等の罪だ。

実はこの罪は、何を守ろうとしているのかよくわからない罪だ。

国家が、刑罰という強い制裁まで使って特定の行為を禁圧しようとするなら、禁圧される行為を上回る何らかの利益を守ることを必ず目的としているはずだ。そうでないなら刑罰は正当化されない。この守られるべき利益を保護法益という。

刑法175条の保護法益について、最高裁は「性道徳、性秩序」と解しているようだ(チャタレー事件判決参照)。

そもそも、性道徳、性秩序などというものを、国家が刑罰をもって強制することが許されるのか疑問が残る。だからこの規定には、根強く違憲説がある。

しかし最高裁判例は合憲説で確定してしまっている。今さら違憲説を唱えても最高裁が相手にしてくれる見込みはほぼない。

そこで、刑法の解釈問題として「わいせつ」にあたるか否かの線引きを争ってきたのが、上に挙げたような数多のわいせつ裁判だ。*2

昭和の有名わいせつ裁判であるチャタレー事件、悪徳の栄え事件、四畳半襖の下張事件は、いずれも文字による文学作品のわいせつ性が問題になったものだ。結論的には3件とも有罪になっている。 

しかし今では、文学作品の作者や販売者が刑法175条で検挙・起訴されることなど考えられないだろう。「チャタレイ夫人の恋人」も「悪徳の栄え」も「四畳半襖の下張」も、今では普通に売っている。

写真や映像表現についての取締の基準も変化してきた。

1981年生まれの私は、「ヘアヌード解禁」という言葉をギリギリ記憶している。昔は、陰毛が写っていればわいせつ物にあたるという基準で取締が行われていた。しかし表現者側が声を上げたり、立件覚悟で陰毛の写った作品の発表を強行したりということが続くうち、なし崩し的に取り締まられなくなり、90年代頃からは完全に「解禁」状態となって現在に至るようだ。

このように、捕まって起訴されて前科がついても闘ってきた先人たちが、わいせつのラインを自由寄りに押し込んでくれたおかげで、比較的自由な今の状況があるわけである。

「チャタレイ夫人」や「悪徳の栄え」の発行が禁じられるような日本国というのは、空想上のディストピアにしか思えないかもしれないが、一歩間違えば本当にそうなっていた。

2017年を生きる我々も、エロ表現を軽んずるあまりディストピアを呼び寄せる愚を犯さないよう心がけたいものだ。

京葉弁護士法人(おおたかの森法律事務所・佐倉志津法律事務所) 代表

弁護士 三浦 義隆

https://otakalaw.com/

*1:この点、慶應義塾大学教授(法哲学)の大屋雄裕氏が、このツイートから始まる連続ツイートで詳しく書いているので一読をお勧めする。

*2:判例におけるわいせつ概念を概観したわかりやすい論稿として、甲南大学教授(刑法学)園田寿氏のブログを挙げておく。

スマホを「注視」しなくても切符を切ろうとする警察官に注意

目次

 

1. 違反をしていないのに切符を切られそうになった件

2週間ほど前のこと。私は仕事の移動のため、地元の走り慣れた道を車で走っていた。

見通しのよい広い道の少し先で、対面の信号が黄色に変わるのが見えた。この信号の変わりばなに引っかかると、1分以上は停止することになる。

私は信号に向けて減速しながら、目の前のホルダーに左手を伸ばしてスマホを取った。

そしてスマホを左手に持ったまま減速しつつ進行し、信号待ちの数台の車列の最後尾に停車した。停車後にスマホを見て、LINEのメッセージが来ているのを確認した。

すると、後方からパトカーがやってきて、私の車の右に停まった。パトカーの窓が開いて、警官は「この信号を過ぎたところで左に寄せて停まってください」という。

 

スマホの件で難癖をつけようとしていることは察しがついた。ひとまず言われたとおりに左に寄せて停まった。

「今スマホ使ってたでしょ」と、パトカーから降りてきた警察官。案の定だ。

「いや、赤信号で停止中に使ってただけですよ」

「走行中から手に持ってたでしょ。信号の手前のパチンコ屋の駐車場からずっと見てたんですよ」

「ええ、たしかに手に持ってましたね」

「そうでしょ。それではこの切符に」

「切符ならサインしませんよ」

「えっ?」

「注視してないから」

「でも手に持ってたって認めたじゃないですか」

「手に持つのが違反じゃないでしょ。注視するのが違反でしょ」

「でも注視してたんじゃないんですか。見ないのに何で手に持つの?」

「私はきちんと前を見て運転していて、前方の信号が赤になりそうなのが見えた。だから停止したときにスマホを見ようと思って、左手を伸ばしてホルダーから外した。左手に持ったまま前を見て走行し、赤信号で停止してから見た。前を見ていたからこそ、信号待ちの列の後ろに適切な車間距離を保って停止できた。私が適切に減速して適切な車間距離で停止したのは、あなた方も確認したでしょう」

「…本当に注視してないんですか」

「本当です」

「わかりました。では今回は注意のみで済ませます」

「いや、何も違反行為はしてないし、違反かどうかは置いといて危険な行為もしてないから、注意される理由もないと思いますけど。ところで今日はたまたま私が法律知ってたからよかったけど、普段はスマホを手に持ってることだけ目視で確認したらこうやって切符にサインさせてるんですか。それ、実際は違反してない人にも沢山サインさせちゃってるということでは」

「いや、そんなことは…」

「まあいいです。もう行っていいですか。仕事中なので」

「念のため免許証だけ確認させてください」

「いいですよ。どうぞ」

2名中1名の警察官が私の免許証を持っていったんパトカーに戻り、免許証をデータベースと照合したらしい。また戻ってきて、相方に「何もなし」というようなことを小声で言った。

「それでは結構です。お時間取らせて申し訳ありませんでした」

「いえいえ。お仕事頑張ってください」

多少時間は取られたが、これにて一件落着。

 

2. 道交法の携帯電話などの規制の解説

2-1. 道交法71条5号の5

上で問題になっていたのは、道路交通法71条5号の5の規制だ。

道路交通法

第71条(運転者の遵守事項)

車両等の運転者は、次に掲げる事項を守らなければならない。

(中略)

5の5  自動車又は原動機付自転車(以下この号において「自動車等」という。)を運転する場合においては、当該自動車等が停止しているときを除き、携帯電話用装置、自動車電話用装置その他の無線通話装置(その全部又は一部を手で保持しなければ送信及び受信のいずれをも行うことができないものに限る。第百二十条第一項第十一号において「無線通話装置」という。)を通話(傷病者の救護又は公共の安全の維持のため当該自動車等の走行中に緊急やむを得ずに行うものを除く。第百二十条第一項第十一号において同じ。)のために使用し、又は当該自動車等に取り付けられ若しくは持ち込まれた画像表示用装置(道路運送車両法第四十一条第十六号 若しくは第十七号 又は第四十四条第十一号 に規定する装置であるものを除く。第百二十条第一項第十一号において同じ。)に表示された画像を注視しないこと。

 

 長ったらしい条文だが、要するにこの規定は、次の2つの行為を禁止している。

  1. 自動車等を運転中(停止中は除く)に、手で保持しなければ送信・受信ともにできない携帯電話などの無線通話装置を通話のために使用すること。*1
  2. 自動車等を運転中(停止中は除く)に、自動車等に取り付けられ、もしくは持ち込まれた画像表示用装置に表示された画像を注視すること。*2

2-2. 「注視」とはどのような行為か

上記の禁止行為のうち私が疑われたのは、「自動車等に」「持ち込まれた」「画像表示装置」であるスマートフォンに「表示された画像」を「注視」したという行為だ。

「注視」とはどのような行為を指すか。日常語としては、「じっと見つめること」といったところだろう。

この規定が新設されるに際して警察庁が発した通達においても、「注視」とは「見続けること」とされている。「注視」にあたるか否かが争いになった裁判例は見当たらなかったが、チラッと一瞥する程度なら「注視」にあたらないことは間違いないだろう。*3

私は、どう考えても「注視」していなかったのに反則切符を切られそうになったから、上記のように「注視」していない旨を説明し、理解を得たわけである。*4

警察官としても、遠目に目視するだけではドライバーの顔や目の動きまでは追いきれないだろう。だから、スマホなどを手に持っている人をとりあえず停めて質問すること自体はやむを得ない面があると思う。

しかし、手に持っているだけで違反になるかのような言辞を弄して反則切符にサインさせようとするのは感心しない。法律を知らない一般のドライバーの大半は、そういうものかと思ってサインしてしまうだろうから、いわば「反則冤罪」を大量に発生させかねない。

警察の運用も改善してほしいものだが、ひとまず本ブログの読者は、「注視」が反則の要件になっていることを頭に入れて、自衛するようにしてほしい。

3.追記

「手に持っているだけだったのに切符を切られた」「停止中だったのに切符を切られた」といったツイートが複数寄せられたので紹介しておく。

 

 

 

警察官が見間違えて、ドライバーが走行中に注視したと思い込んで停止させたなら致し方ない面もあろう。

しかし、紹介したツイートのように、警察が「手に持ってるだけでアウト」とか「(停止中でも)携帯持ってるだけで違反」とか、明らかに法律の規定に反する内容の嘘までついて切符を切っているなら、これは単なる勘違いよりもよほど由々しき問題だ。

こういう目に遭いそうになったら、警察官の言い分が法の規定に反することを指摘して、サインは拒むべきであろう。

京葉弁護士法人(おおたかの森法律事務所・佐倉志津法律事務所) 代表

弁護士 三浦 義隆

https://otakalaw.com/

*1:「通話すること」ではなく「通話のために使用すること」が禁じられているので注意。この規定の仕方だと、通話をするため相手を呼び出し、耳に当てて応答を待っている最中に検挙されても「通話のために使用」にあたることになるだろう。この条文に限らず、立法者はこのように細かい表現の違いで適用範囲が変わってくることを意識して立案している。

*2:「取り付けられ」たものも含むと規定されているからカーナビや車載テレビも含む。

*3:この点について、ネット上には「注視」とは「おおむね2秒を超えて見続けること」であるとする情報が散見される。おそらく、この国家公安委員会告示がソースと思われる。この告示は、カーナビ業者などの交通情報提供事業者向けに指針を定めるものだ。事業者に対して、「ドライバーが注視しなくても済むような、視認性の高い方法で交通情報を提供しなさいよ」という文脈で「注視とはおおむね2秒を超えて見続けること」という基準が用いられている。だから直接的には道交法71条5号の5の「注視」の解釈を述べたものではないが、参考にはなるだろう。

*4:なお、赤信号で停止後に「注視」したことは私も認めているが、前記のとおり道交法71条5号の5には「停止中は除く」と明記されているから、この点は問題とならない。

橋下氏の父が暴力団員であったことを書いても賠償義務なしとされた裁判の解説

www.sankei.com

橋下徹氏の実父と叔父が暴力団組員だった等と報じた月刊誌「新潮45」の記事が名誉毀損及びプライバシー侵害にあたるとして橋下氏が新潮社らを訴えていた件で、最高裁が上告不受理を決定したようだ。

民事訴訟法上の権利として上告できる「上告理由」はきわめて限定されており、この上告理由にあたらないとき、最高裁は上告を門前払いできる。

上告理由がない場合でも、重要な法的論点を含む事案で最高裁が法的判断を示す必要があるときに、最高裁の裁量で上告を受理できる「上告受理申立」という制度はある。

しかし話題の件は、上告理由もなく、かつ上告受理の必要も認められないということで、最高裁は上告を門前払いしたわけだ。

ネット上で、「最高裁が出自差別を認めた」などと述べていた人が散見されたが、本件について最高裁は何ら実質的判断をしていないので注意。論評するなら地裁と高裁の判断がその対象となる。

以下、裁判を要約した上で簡単に私見も述べることとするが、前提として法律の解説もざっくりしておく。*1*2

1.名誉毀損はどんな場合に成立し、どんな場合に成立しないか

1-1. 名誉毀損=人の社会的評価を低下させる言説

民法上の名誉毀損は、ざっくり言うと、人の社会的評価を低下させるような言説を公にすることによって成立する。事実の摘示による場合と論評による場合がある。摘示した事実が真実であっても成立するのが原則。*3

名誉毀損不法行為(民法709条)だから、被害者は損害賠償を請求できる。また、謝罪広告などの名誉回復処分を請求することもできる(民法723条)。

1-2. 名誉を毀損しても違法性がなくなる場合がある

名誉を毀損する言説を公にしても、

 

①摘示した事実が公共の利害に関する事実であること

②もっぱら公益を図る目的によること

③摘示された事実が真実であるか、または真実と信じたことに相当の理由があること

 

の3つの要件を全てみたす場合には、違法性がなくなり(専門用語で「違法性が阻却される」という。)、不法行為は成立しない。

これは確定した判例法理だ。*4

名誉の保護も必要だが、名誉毀損による損害賠償や名誉回復の請求を安易に認めると、表現の自由を著しく制約することになってしまう。

そこで最高裁は違法性阻却を認めることにより、名誉の保護と表現の自由の調整をはかっている。

1-3. 政治家についての言論なら「公共の利害」や「公益目的」は通常認められる

前記の違法阻却の要件のうち、①摘示した事実が公共の利害に関すること、②もっぱら公益目的によることの2つは、対象者が公人であるかどうかで認められやすさが異なる。

公人である場合には、公共の利害に関することや公益目的であることが認められやすい。

特に、民選の議員や知事などの政治家は公人の最たるものと考えられており、政治家が原告となる名誉毀損訴訟で「公共の利害」や「公益目的」が否定されることは通常ない。

よって、実質的な争点は③真実性・真実相当性のみになることが多い。*5

このような裁判所の姿勢は基本的に支持できる。

なぜなら、どんな政治家を選ぶかを決めるのは市民だ。

ゴシップ的な事柄が政治家の当落を左右することについて私は個人的には好ましいと思わないが、代議制民主主義の下ではどんな材料で政治家を評価するかも市民に委ねられていると考えるほかないだろう。

そうであれば、知る権利の観点から、政治家については私事でも暴き立てる自由を極力尊重すべきだと考えざるを得ないからだ。

もっとも、本人の下半身スキャンダルとかならともかく、親がヤクザだとか被差別部落出身だとかの出自を暴き立てることには抵抗を感じる人が多いだろう。私もそういう報道に賛成か反対かといえば明確に反対だ。

しかし、いくら批判されるべき言論だとしても、法的制裁をもって国家権力がこれを禁圧することまで認めるべきか。それが問題だ。

2. 橋下氏 vs 新潮社の裁判の解説

2-1. 事実関係

  • 新潮社発行の月刊誌「新潮45」が、平成23年10月18日に発行した同誌11月号に、「特集『最も危険な政治家』 橋下徹研究 孤独なポピュリストの原点」と題した特集記事を掲載した。
  • 同記事には、①橋下氏の父親が暴力団の組員であった事実、②橋本氏の叔父が暴力団の組員であった事実が摘示されていた。
  • 橋下氏は、上記①及び②について名誉毀損を主張し、新潮社を被告として損害賠償請求の訴えを提起した。

2-2. 裁判の結果

大阪地裁:請求棄却(橋下氏敗訴)

阪高裁:控訴棄却(橋下氏敗訴)

上告も不受理で高裁判決が確定。

2-3. 大阪地裁判決の解説*6

2-3-1. 橋下氏の父親が暴力団の組員であった事実を摘示した部分について

2-3-1-1. 名誉毀損にあたるか

(裁判所の判断)

大阪地裁は、要旨、父親が暴力団組員であった旨の事実の摘示は、橋下氏の社会的評価を低下させるから、橋下氏の名誉を毀損するものであると認定した。

(寸評)

この判断は当然であろう。

2-3-1-2. 違法性が阻却されるか

新潮45」の記事は名誉毀損と認定されたから原則的には不法行為となるが、先に述べたとおり、同誌が摘示した事実が①公共の利害に関する事実であり、②もっぱら公益目的により、かつ③真実または真実と信じたことに相当の理由がある場合は違法性が阻却され不法行為は成立しない。

2-3-1-2-1. 公共の利害に関する事実か

(裁判所の判断)

大阪地裁は、結論として、橋下氏の父親が暴力団組員だった事実も「公共の利害に関する事実」にあたると認めた。

要旨、以下のような理由付けがなされている。

  • 公務員である政治家は全体の奉仕者であり、これを選定・罷免することは国民固有の権利だから(憲法15条)、政治家の適性・能力・資質を判断することに資する事実は、公共の利害に関する事実にあたる。
  • 政治家の適性等はその人物像を含む幅広い事情から判断されるべきものだから、政治家の人格形成に影響を及ぼしうる事実は、政治家の人物像を明らかにするための事実として、公共の利害に関する事実にあたる。
  • 橋下氏の父が6歳頃までは橋下氏と同居し、日常的に橋下氏の世話をするなど父親として橋下氏の養育に関与していたこと等の事情から、父親が暴力団組員であったことは橋下氏の人格形成に影響を及ぼしうる事実である。

(寸評)

判決は、憲法上の権利としての公務員選定・罷免権に言及しつつ、「政治家の人格形成に影響を及ぼしうる事実は公共の利害に関する事実にあたる」という一般論を立てた。

この一般論に照らせば、親がどのような人物であったかは個人の人格形成に影響すると広く考えられているから、親が暴力団組員だった旨の摘示も「公共の利害に関する事実」にあたるといわざるを得ないだろう。

裁判における判断のロジックは、まず一般的な規範を立て、個別の事案がこれに当てはまるかどうかを検討するという理路をとる。

「政治家の人格形成に影響を及ぼしうる事実は公共の利害に関する事実にあたる」という規範は妥当だろう。そして、この規範に「父親が暴力団組員であった事実」が当てはまるのも疑いがないだろう。

そうすると、判決が「公共の利害」性を肯定したのは妥当な判断ということになろう。

2-3-1-2-2. 公益目的か

(裁判所の判断)

大阪地裁は、一般論として

政治家の適性等を判断することに資する事実は,公共の利害に関する事実に当たると認められるから,そのような事実を提供する目的でされた事実の摘示については公益目的が認められるというべきである。

と述べた上で、

(新潮社らは)原告の人物像,人間性に影響を与えた事実を明らかにすることで,原告の政治家としての適性等を判断することに資する資料を読者に提供しようという意図・目的で本件記事の執筆等を行(った)

と認定し、公益目的を肯定した。

(寸評)

 先に公共利害性を肯定した以上、公益目的も肯定されたことは当然であろう。

2-3-1-2-3. 真実か。または真実と信じたことに相当の理由があったか

(裁判所の判断)

橋下氏の父が暴力団組員であった事実は真実であると認定した。また、仮に真実でなかったとしても、新潮社が複数の関係者の供述を取るなどの裏付け取材を行っていることから、真実と信じたことについて相当の理由があるとした。

 

2-3-2. 橋下氏の叔父が暴力団の組員であった事実を摘示した部分について

(裁判所の判断)

裁判所は、叔父が暴力団の組員であった事実も社会的評価を低下させるから橋下氏の名誉を毀損するとした上で、

  • 橋下氏の知事就任後に叔父がパーティー券の購入という形で100万円の政治資金を提供していること
  • 大阪府議会において,叔父が関係する企業による大阪府の公共事業の受注に関し,橋下氏と叔父の関係が取り上げられていること
  • 叔父が大阪府内の自治体の複数の首長選挙に関与し,橋下氏が代表を務める政党に協力を依頼したことがあること

などを認定して、①公共利害性、②公益目的、③真実性または真実相当性のいずれも認められるとし、不法行為は成立しないとした。

(寸評)

この判断は当然であろう。単なる血族であるということではなく、政治家になった後も関係を有していたことが認定されているから、父親の件よりも「公共の利害」や「公益目的」はすんなり認められる。

2-4.大阪高裁判決の解説*7

多少理由付けが補足されてはいるが、大阪高裁も、ほぼ全面的に地裁判決を踏襲して控訴を棄却した。

3.まとめ

地裁・高裁ともに、政治家に対する言論は原則として「公共の利害に関する事実」にあたるし「公益目的」も認められるという従来の裁判例の趨勢に沿った判断をしたといえる。

基本的には妥当な方向性だと思うが、「さすがにこれはアウト」となる限界をどこに引くかはなかなか難しい。

例えば、もしも将来、カミングアウトしていない同性愛者である政治家の性的指向を暴露する記事が出たら、裁判所はどう判断するだろうか。

なお、橋下氏対新潮社の名誉毀損裁判は、本稿で紹介した「新潮45」に関するもののほか、「週刊新潮」の記事に関するものもある。

週刊新潮」の記事では、橋下氏の父が暴力団組員であったという事実に加え、橋下氏の従兄弟が犯罪により服役したという事実も摘示されている*8

そして、この親族は、橋下氏が弁護士になるまで一度も会ったことがなく、初対面後も特段の交流はなかったと認定されている。このような事実関係の下、大阪高裁は、

仮に★が被控訴人*9の従兄弟であるとしても、一般的には、同居するような関係にあるわけではなく、実際にも、被控訴人は★と何ら接点を持つことなく成人しており、初対面の後も特段の交流はないというのであるから、★という人物の存在や行動が、被控訴人の人格形成に何らかの影響を及ぼしているとか、被控訴人の政治家あるいは公選候補者としての資質や適性を考える上で参考になると考えることは困難である。*10

として、このような事実の摘示は「公共の利害に関する事実」の摘示にあたらないと判断した。(結論としても損害賠償請求を一部認めた。)

いくら政治家であっても、成人するまで一度も会ったことがなく、初対面の後も交流がない親族の行状まで暴かれ、適性等の判断の資料にされるいわれはないと考えられるから、これはこれで妥当な判断であろう。

京葉弁護士法人(おおたかの森法律事務所・佐倉志津法律事務所) 代表

弁護士 三浦 義隆

https://otakalaw.com/

*1:なお、橋下氏・新潮社間の名誉毀損訴訟は他にもあるが、本稿では、冒頭で報道されている件を扱う。

*2:本訴訟ではプライバシー侵害も問題になったが、本稿では名誉毀損の側面のみ扱う。なお結論としてはプライバシー侵害も否定されて橋下氏が全面的に敗訴している。

*3:刑法上の名誉毀損罪は、成立要件などが微妙に異なるから注意。橋下氏の件は刑事で立件されていないから、本稿では名誉毀損罪については触れない。

*4:最判昭41・6・23 民集第20巻5号1118頁。

*5:真実性・真実相当性の要件に関して政治家が特別扱いされないのは妥当だろう。いくら相手が政治家でも、よく調べもせずに誤ったことを書けば違法になるのは仕方がない。

*6:大阪地判平28・3・30/平26(ワ)2018号

*7:阪高判平28・10・27/平28(ネ)1419号

*8:記事では罪名なども具体的に書かれているが、本稿では触れない。

*9:橋下氏。

*10:伏せ字は筆者。

「有罪率99%以上」の背景

日本の刑事裁判を語るとき、必ずといっていいほど持ち出されるのが「有罪率99.9%」とか「有罪率99%以上」というフレーズだ。

「有罪率99.9%」については、匿名弁護士の刑裁サイ太氏が以前ブログで検証していた。*1

keisaisaita.hatenablog.jp

この記事によるとどうも99.9%ではなさそうだが、99%台後半ということにはなるようだ。いずれにしてもきわめて高い。

このような高い有罪率は、それ自体問題ではある。

しかし、マスコミや一般の方が「有罪率99%」云々を、「いったん疑われたら確実に有罪まで持っていかれる」的なニュアンスで言っているのを見ると、弁護士としては違和感がある。

以下に述べるとおり、刑事手続の全体像を見れば、疑われた人の99%以上が有罪になるなどということは全くないからだ。

1. 無罪より不起訴で終わるほうが圧倒的に多い

(1) 起訴前に検察官が事件をふるいにかける

最も重要な点として、有罪率の分母・分子には、起訴されて裁判になった事件しかカウントされない。

日本の刑事訴訟法では、被疑者を起訴するかどうかは検察官が裁量で決めてよいことになっている。これを「起訴便宜主義」という。

刑事訴訟法

第247条  公訴は、検察官がこれを行う。

第248条  犯人の性格、年齢及び境遇、犯罪の軽重及び情状並びに犯罪後の情況により訴追を必要としないときは、公訴を提起しないことができる。

検察官はしばしば無茶な起訴をすることもあるが、全体としては適切に裁量を行使しているケースの方が多いだろう。

この検察官の段階で、否認事件のうちある程度はふるいにかけられ、裁判所まで行かずに不起訴で終わる。

検察官が適切に訴追裁量を行使する限り、有罪率が高いのはある程度当たり前ともいえる。

極端な話、検察官が100%適切に起訴裁量を行使する架空の国家を想定すれば、有罪率は100%でも問題ないわけだ。まあ現実の国家ではそんなことはないから冤罪が生じるのだが。

(2) 起訴率は4割未満しかない

検察庁に送致された事件のうち、どれだけの割合が起訴されたかを示す「起訴率」という指標がある。

この起訴率は、ここ数十年にわたり一貫して低下傾向だ。

犯罪白書によると、1982年には57.5%だった刑法犯の起訴率が、2015年には39.1%まで低下している。

ところで、昔は、国選弁護制度は起訴後の被告人段階にだけ存在し、起訴前の被疑者は国選弁護人を付けることはできなかった。

2006年10月2日から法改正により被疑者国選制度が新設され、以後、被疑者国選対象事件の拡大を経て、現在では被疑者段階から弁護人が付くことが一般的になっている。*2

無罪判決は昔も今もレアだから、無罪を獲得した弁護人が賞賛されることは変わりない。

しかし、2017年現在、被疑者段階から選任された否認事件の弁護人がまず力を注ぐのは、とにかく不起訴に持ち込むことだ。

無罪判決を取るよりはずっと確率も高いし、裁判まで行かずに早期に終わるという点で被疑者の利益にもなる。

2. 有罪率の分母は自白事件も含んだ数字

次に、起訴されて裁判になった事件を見てみよう。

有罪率の分母は、被告人が罪を認めている自白事件も含んだ数字だ。

もちろん虚偽自白がなされるケースもあるから、自白事件なら冤罪が生じないとはいえない。

しかし、捜査段階でうっかり自白しただけならともかく、公判段階でも自白を貫いている事件なら、相対的に冤罪の危険性は低いといえるだろう。

前記のサイ太氏のブログによると、否認事件に限った場合の有罪率は97%台と推定されるようだ。

いずれにしても高いことは高いが。

 3.まとめ

このように、日本の刑事裁判の有罪率が99%を超えている背景には、

  • 検察官の裁量により不起訴で終わる事件が多いこと
  • 有罪率の分母には自白事件を含むこと

という事情が存在している。

最近は一般の方も日本の刑事司法に問題意識を持ち、ネット上などで積極的に発言する人が増えた。それはよいことだと思う。

ただし、議論の前提として、本稿に述べたような事実はきちんと知っておく必要があるだろう。

京葉弁護士法人(おおたかの森法律事務所・佐倉志津法律事務所) 代表

弁護士 三浦 義隆

https://otakalaw.com/

 

 

 

*1:サイ太氏はTwitterもブログも面白いので、紹介した記事以外も読んでみるといいと思う。

*2:ただし一定の軽微な犯罪は今でも被疑者国選の対象外。

保釈制度を基礎の基礎から解説しよう

「保釈」という言葉はマスコミ報道などでもよく目にするが、意外と誤解の多い制度だ。

典型的な誤解としては、「悪いことをしたのに金を積めば出られるのはおかしい」といった意見が散見される。

保釈制度を理解するためには、前提となっている大原則から理解する必要がある。

以下、無罪推定という大原則から説き起こして、「保釈金はどの程度か」「実際どのくらい保釈が認められるか」といった実務的な事項まで解説を試みよう。

1.無罪推定の原則→有罪が確定するまでは自由の身

無罪推定の原則とは、「何人も、有罪判決が確定するまでは犯罪者として取り扱われない」という原則だ。

有罪判決確定まで罪人とは決まらないから罪人として取り扱われないというのは、考えれば当然の話だ。有罪判決を待たずに罪人として扱ってよいなら裁判はいらないことになる。

有罪判決確定まで罪人として扱われないということは、被疑者・被告人は、私たちと同様の自由な市民であるということだ。*1

この「被疑者・被告人は自由な市民」というのが、保釈制度を理解する出発点となる。

2.自由な市民なのに身柄を拘束されるのはなぜか

被疑者・被告人が自由な市民である以上、身柄を拘束されたりせずに自由に社会生活を送ることができるのが本来あるべき姿だ。

しかし、捜査の段階では捜査機関が捜査をして起訴・不起訴を決定しなければならないし、起訴後は裁判を行わなければならない。

そこで、被疑者・被告人を自由にしておくと捜査や裁判に支障が出ると認められる場合に限り、身柄拘束が認められることになっている。

具体的には、住居不定、罪証隠滅を疑うに足りる相当な理由、逃亡を疑うに足りる相当な理由のいずれかが認められる場合に被疑者・被告人は勾留される。

刑事訴訟法

第60条  裁判所は、被告人が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由がある場合で、左の各号の一にあたるときは、これを勾留することができる。

一  被告人が定まつた住居を有しないとき。

二  被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。

三  被告人が逃亡し又は逃亡すると疑うに足りる相当な理由があるとき。

○2  勾留の期間は、公訴の提起があつた日から二箇月とする。特に継続の必要がある場合においては、具体的にその理由を附した決定で、一箇月ごとにこれを更新することができる。但し、第八十九条第一号、第三号、第四号又は第六号にあたる場合を除いては、更新は、一回に限るものとする。

○3  三十万円(刑法 、暴力行為等処罰に関する法律(大正十五年法律第六十号)及び経済関係罰則の整備に関する法律(昭和十九年法律第四号)の罪以外の罪については、当分の間、二万円)以下の罰金、拘留又は科料に当たる事件については、被告人が定まつた住居を有しない場合に限り、第一項の規定を適用する。

 3.被疑者段階で勾留されていても起訴後は保釈が認められる

被疑者の段階で勾留された人が、勾留されたまま起訴されると、その勾留は自動的に被告人段階の勾留に切り替わって継続されることになっている。

しかし、起訴後は起訴前と違って、保釈という制度がある。起訴後に限って保釈が認められる実質的理由としては、

  • 裁判には少なくとも1か月程度、長ければ数年を要するから、その間ずっと自由な市民であるはずの被告人を拘束しておくのは人権を制約しすぎであること
  • 捜査機関は起訴前に被疑者を勾留までして充分に捜査をし、その結果有罪に持ち込めると判断して起訴したはず。ならば重要な証拠は捜査機関において確保済みであり、罪証隠滅の蓋然性は一般的に低下しているはずであること
  • 捜査段階では、被疑者は自由な市民とはいえ捜査の客体という側面があった。しかし裁判段階では、被疑者は検察官と対等な立場で対立する当事者である。いわば裁判所を審判として検察官と試合をするのが被告人だ。したがって、ゲームに参加する当事者のうち一方だけ身柄を拘束して閉じ込めておくというのは公平ではないこと

 あたりを挙げることができるだろう。

そこで、刑事訴訟法89条は、保釈は請求があれば原則的に認められることを前提にしつつ、例外的な場合だけ保釈が認められないという建て付けの規定になっている。*2

第89条  保釈の請求があつたときは、次の場合を除いては、これを許さなければならない。

一  被告人が死刑又は無期若しくは短期一年以上の懲役若しくは禁錮に当たる罪を犯したものであるとき。

二  被告人が前に死刑又は無期若しくは長期十年を超える懲役若しくは禁錮に当たる罪につき有罪の宣告を受けたことがあるとき。

三  被告人が常習として長期三年以上の懲役又は禁錮に当たる罪を犯したものであるとき。

四  被告人が罪証を隠滅すると疑うに足りる相当な理由があるとき。

五  被告人が、被害者その他事件の審判に必要な知識を有すると認められる者若しくはその親族の身体若しくは財産に害を加え又はこれらの者を畏怖させる行為をすると疑うに足りる相当な理由があるとき。

六  被告人の氏名又は住居が分からないとき。 

 4.保釈保証金は逃亡しないための担保。150万円からだが立替制度あり

保釈請求が認められる場合は、裁判所に保釈保証金(以下「保釈金」という。)を納める。

この保釈保証金は逃亡しないための担保として納めるものだから、ちゃんと出頭して裁判が終われば全額返ってくる。

案外ここを知らない人が多いようで、刑事事件の依頼者に説明すると、「なんだ、返ってくるんですか」といった反応がよくある。

お金持ちの場合、低額では逃亡を防ぐだけの心理的強制力が期待できないから、保釈金は高額になる。

この点もかなり誤解があって、富裕な有名人が高額な保釈金を積んで保釈されたという報道があると、「金持ちなら金を積んで釈放されることができるのか。ずるい」といった反応がよく見られる。

いや、金持ちでなければもっと低額で保釈されますからね。

とはいえ、無職なら1万円でも保釈してくれるというわけではなく、事実上の下限はある。

一般的には150万円を下限と見ておけばよいだろう。(例外的に150万円を下回る場合もあるが。)

もっとも、150万円からという大金を急に用意せよと言われてもできない人は多い。そういった人でも保釈されるための方法はある。

(1)日本保釈支援協会を利用する

一般社団法人「日本保釈支援協会」というのがある。保釈金を立て替える事業をやっている機関だ。*3

  • 被告人本人ではなく家族等の関係者が申し込む必要がある
  • 数万円程度の手数料を取られる
  • 保釈金を全額立て替えてくれる場合もあるが、全額は立て替えてくれず一部自己負担を求められる場合もある(ただしこれは保釈金の一部だから返ってくるが。)

といった制約はあるが、これをクリアできる人には便利な機関だ。審査手続も簡易で迅速。私もよく利用している。

(2)全国弁護士協同組合連合会の保釈保証書発行事業を利用する

全国弁護士協同組合連合会(全弁協)は、保釈保証金そのものを立て替えるのではなく、裁判所に提出する保釈保証書を発行してくれるという事業をやっている。

これは、全弁協が発行する保釈保証書の提出をもってひとまず保釈金に替え、万一被告人が逃亡などした場合には全弁協が保釈金を負担するという仕組みだ。

こちらは前記の保釈支援協会よりも新しい制度なのだが、使い勝手の悪い制度だという評判もあって、私は利用したことがない。

今は改善されているかもしれないので、興味があったら調べてみるとよい。

5.実際のところ保釈はどのくらい認められるか

保釈金は用意できるとしても、裁判所が罪証隠滅のおそれなどを理由に保釈を不相当と判断したら保釈は認められない。

では、実際のところ保釈はどの程度認められているか。

勾留された被告人の数を分母とし、保釈許可数を分子とした「保釈率」という指標がある。保釈率は2015年のデータで26.41%だ。

保釈率は1990年には25.25%だったのが、以後年々低下し、2003年には半分以下の11.74%になった。

しかしそこから年々上昇し、最新のデータでは1990年を上回る水準となっている。

この保釈率は、あくまで勾留された被告人数が分母なので、そもそも保釈請求していない人も含んでいる点に注意が必要だ。保釈請求をした場合に認められる割合はもっと高い。

統計はないが、請求すれば少なくとも半分以上は保釈されるというのが私の体感だ。*4

以前は、「否認していると保釈されない」と言われていた。今でも否認は罪証隠滅・逃亡のおそれを示す材料として考慮されてしまう可能性はある。しかし、否認していても保釈されるケースは増えてきていると思う。

また、有罪になった場合に実刑確実とみられる被告人も保釈は認められにくいと言われてきたが、最近は意外と認められるという印象がある。

このあたりは実務をやっての体感で述べているからデータは出せないが、徐々にとはいえ「人質司法」が改善されてきているなと感じる。

京葉弁護士法人(おおたかの森法律事務所・佐倉志津法律事務所) 代表

弁護士 三浦 義隆

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*1:被疑者とは捜査機関から疑いをかけられた起訴前の人を指す。被告人とは起訴された人。

*2:刑訴法89条の保釈を「権利保釈」という。もっとも、実務上、裁判所はそう簡単に権利保釈は認めず、同法90条のいわゆる「裁量保釈」で認めるのが一般的。この点はフリーハンドを確保しておきたいという裁判所の意図のあらわれだろう。

*3:最近は保釈保証書発行事業もやっているらしいが私は利用したことがないのでよく知らない。興味があったら同協会のウェブサイトで確認してほしい。

*4:保釈成功率は各弁護士の方針の違いにより変わってくると思う。きわどい事案でも積極的に保釈請求する熱心な弁護士の保釈成功率はむしろ下がる傾向があるといえる。保釈請求で全勝しているとか勝率9割を超えているとかいう弁護士がいたら、それは最初から諦めて保釈請求しない割合が高いせいだとしか考えられないからお勧めしない。保釈に限らず、弁護士業は難しい案件をやっている人ほど勝ったり負けたりするものなので、高すぎる勝率を誇る人は総じて信用に値しないから注意。

無期懲役刑は終身刑だ

一審で無期懲役の有罪判決を受けた殺人事件の被告人が控訴したというニュースが話題になっている。

なんでも、被告人は一審の公判において「無期懲役は実質的な終身刑。私は唯一、それだけはいやです」と述べたらしい。

それはいやだろうとは思う。高裁の結論がどうなるかわからないが、控訴するのは被告人の権利だから、控訴審でも思う存分争った上で判決を受ければよい。 

ところで、「無期懲役は実質的な終身刑」という言葉は、

無期懲役で仮釈放はあまり期待できないから、生涯刑務所にいなければならない可能性が高い」

という意味で言っているのだろう。

後に述べるが、その認識は正しい。

そして、それ以前の問題として、無期懲役終身刑は、実は概念的にも同じものだ。

1.そもそも無期懲役終身刑は同じ概念

無期懲役は、実際の運用はともかく、概念としては終身刑とは異なると思っている人が圧倒的に多数だと思う。

無期懲役終身刑が異なることを前提に、「日本には終身刑がない」という前提でいろいろ議論がなされるのが常だ。

しかし、この前提は誤りだ。無期懲役終身刑は同じもので、ただ呼び方が異なるだけだから。

無期懲役というと、その語感からか、「単に期間が定まっていない刑罰」を意味すると思う人が多いようだが、そうではない。

期間が定まっていないのではなくて、懲役刑の終わりが「ない」のが日本の無期懲役だ。刑期に終わりがないから、刑が一生終わらないことは確定している。

刑が終わることは生涯ない以上、外界に出られるとしたら「仮釈放」しかない。

仮釈放は、「仮」の文字どおり暫定的な処分だ。いったん外には出してもらえるが、受刑中であることには変わりがない。

仮釈放中に、比較的軽い罪でも再犯をしたり、遵守事項違反をしたりすると、国は仮釈放を取り消して受刑者を再び収監することができる。

有期懲役にも仮釈放制度はあって、概ね刑期の8割を過ぎた頃から、服役中の行状などによっては仮釈放される人が出てくる。

有期懲役の場合は満期があるから、仮釈放された後につつがなく満期が到来すれば、晴れて自由の身だ。

しかし無期懲役だと満期はないので、一生涯「仮釈放中の無期懲役囚」の身分が続くことになる。

ところで、仮釈放制度の有無を問わず、このように刑の終期がない懲役刑のことを、終身刑と呼んでいる。無期懲役とも呼ぶ。

このように、無期懲役終身刑は同じことだ。

そのため、「無期懲役」の英訳は「life imprisonment」であり、これは「終身刑」という意味だ。*1

ところで、無期懲役=終身刑は、制度上、仮釈放の可能性があるものとないものに分かれる。

世界的に見ると仮釈放制度のある終身刑を採用している国が比較的多いようだが、仮釈放制度のない終身刑を採用している国も存在する。

日本においてマスコミをはじめとする多くの人が「無期懲役」と異なる概念と思い込んで用いている「終身刑」の語は、「仮釈放のない終身刑」を指しているわけだ。

無期懲役終身刑を別の概念と捉えるのは本来は誤りだが、ひとまず

  • 日本語の「終身刑」はたいていの場合「仮釈放のない終身刑」だけを指して用いられること
  • 海外の犯罪報道などで「終身刑」と言われる場合、「仮釈放のない終身刑」の意味で用いられているとは限らず、むしろ日本の無期懲役にあたる制度である場合が多いこと

 を押さえておけばよいだろう。*2

2.無期懲役囚が仮釈放で出るのは困難

上記のとおり無期懲役終身刑は同じものだ。

しかし、冒頭の被告人が「無期懲役は実質終身刑」と言ったのは、そういう意味ではないだろう。

「仮釈放は実際上困難だから、日本の無期懲役は実質仮釈放のない終身刑に近い」と言いたかったのだろう。

実際、法務省が公開しているデータを見ても、無期懲役囚が仮釈放されるのはなかなか困難だ。いったん無期懲役になったら死ぬまで出られない可能性が高い。

この点、「無期懲役といっても15年~20年で出られる」といった認識を持っている人が多いようだが、明らかに誤っているので注意。*3*4

法務省の公開データを見ると、

  • H23~27年の5年間に仮釈放許可を得た囚人の平均在所期間は、いずれの年も30年以上。H18年~H27年の平均は31.2年。
  • H23年~27年の新規仮釈放者数と獄死者数を足したものを分母とし、これに占める新規仮釈放者の割合を求めると、32/126で25.4%。
  • 平成23年〜27年の5年間で仮釈放申請は計129件あるが、うち仮釈放が許可されたのは33件で25.6%。なお、仮釈放申請自体、在所期間30年以上の人が9割以上を占める。

このように、「15~20年で出られる」どころか、「30年経っても出られない可能性の方が高い」「一生出られず獄死する可能性が高い」のが日本の無期懲役の運用だということが読み取れる。

3.まとめ

このように、日本の無期懲役は概念的にも海外の終身刑と同じものだし、運用上も仮釈放はなかなか厳しいのが現実だ。

それでも、「仮釈放の可能性が全くない終身刑を日本に導入すべきだ」という議論はあり得るし、あってよい。

あってよいが、そういう議論をするならせめて本稿に述べたことくらいは前提として理解していないと、床屋政談の域を出ないだろう。

京葉弁護士法人(おおたかの森法律事務所・佐倉志津法律事務所) 代表

弁護士 三浦 義隆

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*1:ちなみに、Google翻訳で「無期懲役」を英訳すると「life Imprisonment」が出てくるが、「life Imprisonment」を和訳すると「終身刑」が出てくる。

*2:これらの点についてはwikipediaの「終身刑」の項目がよくまとまっているから、一読に値すると思う。

*3:「2000年頃までは20年程度で出られたらしい」とのブコメが幾つか付いているから念のため追記。たしかに、2000年までは仮釈放者の平均在所期間は20年強だった。しかし、この数字をもって「無期懲役は20年程度で出られた」というのは論理的に誤りだろう。これは出られた人の平均在所期間にすぎないので。平均初婚年齢が28歳であるからといって、28年生きれば結婚できるとはいえないのと同様。なお、無期囚のうちどの程度の割合が最終的に仮釈放で出ているのかは、データがないからわからない。本文に掲げているように、新規無期受刑者数や獄死者数と新規仮釈放者数を比較することによって、ある程度推定はできそうだが。

*4:弁護士の大渕愛子氏は、2015年に出演したテレビ番組で「無期懲役囚は刑務所で問題なく過ごせば15年くらいで仮釈放される」という趣旨の誤った発言をして批判を浴びた。→その後大渕氏は、同じ番組でこの発言を訂正した模様。筆者は訂正していないと思っていたが、ブコメで指摘してくださった方がいた。感謝。

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業務上のミスで生じた損害を給与から天引きするのは違法

労働者が仕事上のミスによって使用者に損害を与えた場合に、損害額を労働者の給料から差し引いて支給するケースがときどき見られる。

このような天引きは、業務上の事故がつきものの運送業などでは、ある程度広く行われているようだ。

 この問題は2つの層に分けて考えることができる。

  1. そもそも使用者は、労働者の業務上のミスを理由に、労働者に対して損害賠償請求できるか。
  2. 仮に使用者が従業員に損害賠償請求できるとしても、賠償金を給与から差し引く方法で取り立てることは許されるか。

以下、この2つの問題について説明する。

 1.使用者は労働者の業務上のミスを理由に労働者に損害賠償請求できるか

労働者が業務上の注意義務に違反して、故意または過失により使用者に損害を与えた場合、使用者は不法行為(民法709条)または債務不履行(民法415条)を根拠に労働者に損害賠償請求をできる場合がある。

労働者が自らの故意または過失で使用者に損害を与えたのだから、損害を賠償しなければならないことは当然だと思われるかもしれない。

しかし、使用者は、日々労働者を使用することによって自らの活動を拡大し、利益をあげている。

労働者の行為によって発生した利益は使用者が取得するのに、損失が発生した場合は労働者から取り立てるというのは、不公平ではないだろうか。

「利益の帰するところ、損失もまた帰する」という法原理(報償責任の原理)がある。

この報償責任の原理からすれば、労働者のミスによって生じた損失は使用者が負担すべきだと考えられる。

また、使用者は保険を利用する等の方法によって予めリスクを分散させることもできる。

このような考慮から、裁判所も、使用者が労働者に対してする損害賠償請求を、大幅に制限する立場をとっている。

茨石事件最高裁判決は、

使用者が、その事業の執行につきなされた被用者の加害行為により、直接損害を被り又は使用者としての損害賠償責任を負担したことに基づき損害を被つた場合には、使用者は、その事業の性格、規模、施設の状況、被用者の業務の内容、労働条件、勤務態度、加害行為の態様、加害行為の予防若しくは損失の分散についての使用者の配慮の程度その他諸般の事情に照らし、損害の公平な分担という見地から信義則上相当と認められる限度において、被用者に対し右損害の賠償又は求償の請求をすることができるものと解すべきである。

と判示して、使用者から労働者に対する賠償・求償請求は制限されることを示した。

そして、最高裁は、この事案で使用者が労働者に請求できる損害は、全損害の4分の1であるとした。

その後の下級審では、4分の1どころではなく、労働者の責任を全く認めないものや、1~2割程度しか認めないといった裁判例も多数積み重なっている。

したがって、損害発生が労働者の単純ミスによる場合は、使用者が労働者に対して損害賠償請求をしても、そのような請求は全く認められないか、大幅な減額をされることになるだろう。

一方、労働者が使用者の財産を横領した場合など、故意の犯罪行為によって使用者に損害を与えた場合は、全額の損害賠償請求が認められる。

 

2.使用者は、労働者に対して損害賠償請求できる場合、これを給与から差し引けるか

結論から述べると、使用者は労働者に請求すべき賠償金を給与から差し引くことはできない。

賃金全額払の原則(労基法24条1項)に違反するからだ。

労働基準法 第24条 (賃金の支払)

1 賃金は、通貨で、直接労働者に、その全額を支払わなければならない。ただし、法令若しくは労働協約に別段の定めがある場合又は厚生労働省令で定める賃金について確実な支払の方法で厚生労働省令で定めるものによる場合においては、通貨以外のもので支払い、また、法令に別段の定めがある場合又は当該事業場の労働者の過半数で組織する労働組合があるときはその労働組合、労働者の過半数で組織する労働組合がないときは労働者の過半数を代表する者との書面による協定がある場合においては、賃金の一部を控除して支払うことができる。

この条文により、給与から「負担金」「制裁金」等の名目で一方的にお金を差し引かれた労働者は、その差し引かれた金額を、未払賃金として使用者に対し請求できる。

 もっとも、賃金全額払の原則には、判例上認められた例外がある。

使用者が労働者の同意を得て行う相殺は、当該相殺が労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在するときは、全額払原則に反せず適法である

と、最高裁は述べている。(日新製鋼事件最高裁判決)

しかし、この判例も、単に労働者の同意があればOKと言っているわけではない。

労働者の同意が「労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在するとき」に限って相殺が認められるという要件を課している。

そして、裁判例の傾向として、この要件は相当厳格に判断されているから、給与天引きはそう簡単に有効とは認められない。

この要件に照らして天引きが有効になりやすい例としては、

  • 使用者が労働者から頼まれて労働者にお金を貸し付け、同意を得て返済金を天引きする場合
  • 事務的ミスによりある月の賃金を多く払いすぎてしまったことが判明したので、労働者の同意を得て過払い分を天引きする場合

などが考えられる。

一方、本稿で問題としているのは、業務上のミスに対する損害賠償の趣旨での天引きだ。

労働者が、このような天引きをされることに心底納得するというのは通常考えにくい。多くの場合、使用者が力関係によって押し付けた合意だと見られるだろう。

したがって、損害賠償金の給与天引きについて、仮に使用者が形式的には労働者から同意を取っていたとしても、裁判所がこの同意を根拠に天引きを適法と判断する可能性は低いだろう。*1

よって、仕事上のミスによる損害分を給与から天引きされた労働者は、その天引きに同意していたとしても、その天引きされた金額を未払い賃金として請求できる可能性が高い。

逆に使用者としては、労働者に対して損害賠償請求をしたければ、まず労働者に賃金全額を支払った上で別途請求するしかないことになる。(もっとも、この損害賠償請求もそう簡単に認められないことは前記のとおり。)

京葉弁護士法人(おおたかの森法律事務所・佐倉志津法律事務所) 代表

弁護士 三浦 義隆

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*1: 大阪地判平28・5・27平25(ワ)5198号(公刊物未登載)は、トラック運転手が事故費相当額を給与から天引きされた事案で、使用者側は労働者の同意があったと主張したが、裁判所は、同意が「労働者の自由な意思に基づいてされたものであると認めるに足りる合理的理由が客観的に存在するとは認められない」として天引きの効力を否定し、賃金の支払を命じた。同旨の裁判例多数。